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不名誉な伝承 〜昔鳥 鏡〜


 賊の反乱、度重なる戦、群雄の台頭。世の中が酷く乱れている時に彼は生まれた。
 彼は生まれて間もなく戦に巻き込まれた。母親に抱かれて馬車に乗り込んだ彼は、その心地よい揺れの中で眠りについた。突然馬車が大きく揺れ、彼は放り出された。彼は何が起きたのか理解できなかった。母親とは別の女性がすぐさま彼を拾い上げて足を引き摺りながらどこかに歩いて行った。しばらくすると女性の歩きが止まり、その女性は何かに凭れかかるようにして座り込んだ。幼心に恐怖を感じ取った彼は泣きだそうとしたが、口を押さえられて声を上げることができなかった。
 長いこと息を潜めていると誰かが二人の前に現れた。それは男性であり、女性と二、三言葉を交わした後、どこかに歩いて行った。それを見て女性は彼を地面に置き、よろよろと立ち上がった。先程の男性が馬を連れて来た途端、彼女の体は石の壁の向こうに消えた。慌てて駆け寄ってきた男性は壁の向こうを覗き込み、涙を流した。その男性は涙を拭うと彼を抱き上げ、体に括り付けた。彼はなんとなく心を落ち着かせることができた。その後その男性は馬を駆り、たった一騎で駆けて行った。そこに感じた安心感に、彼は再び眠りについた。
 急に襲ってきた浮遊感に彼は眼を覚ました。誰かに受け止められてその顔を見ると、その男性は驚いた顔をしてどこかを見ていた。その視線を追うと、先程の男性と父親が見えた。先程の男性は膝をついたまま顔を俯けており、父はその肩に手を掛けて語りかけていた。彼はすぐに母親のもとに運ばれた。母親は彼の無事に安堵したが、もう一人の女性のことを聞いて涙を流した。
 
 
 母上が亡くなり、一年程経つ頃に新しい母上が現れた。他国の生れであった彼女は何らかの意図があって婚姻を結んだようだが、父上との中は睦まじかった。彼は子供心にそれを喜んだ。しかし数年もすると父上と母上の兄の仲が悪くなり、母上は国に帰ることになった。彼は母上とともに行こうとしたが、父上の部下に止められて母上と離れ離れになった。
 両国間で戦いとなると、母上の国はその北に位置する国と手を結んだ。二国を相手に善戦したものの、数度の戦いを経るうちに兄上が亡くなり、父上の義兄弟がなくなった。義弟を失った父上は激怒し、母上の国に戦いを挑んだ。父上は惨敗し、病に伏した。亡くなる直前に父上は一人の部下を呼び、その男に教えを乞えと言って果てた。同じ頃母上も亡くなったという知らせが届いた。
 彼の師となった男性は母上の国との関係を修復し、北の大国と戦うのが良いと言った。彼は難しいことは理解できなかったので、師の行動をすべて許した。数度北へと攻め込んだことにより国力は衰え、多くの部下を失った。頼みとしていた師も天には勝てず、五度目の進軍の折に陣中で亡くなった。
 師の死後国は荒れ多くの部下が内乱などにより失われた。また、北からの攻勢が強まり、いまやまともに戦えるのは剣閣にいる軍のみとなった。しかしここで驚くべきことが起こった。剣閣で戦っているはずの敵が後方から現れ、瞬く間にこちらの城を落した。すぐさま間にある城を師の子と孫に守らせたが、あえなく破られてしまった。かくなる上は降伏より他ないと諸官の意見が一致した時に、割って入る声があった。彼の五番目の子供だった。その者は涙ながらに、建国に尽力した者、未だ戦っている者のことを訴えた。しかし彼はなによりも死にたくないという思いが先行し、降伏を決意した。その場を追い出された彼の子は自宅に帰ると妻子ともども自害した。
 剣閣に降伏を伝える使者を送った。剣閣にいた者達は皆、剣を折って降伏した。のちに彼らは反旗を翻そうとしたが、実行する前に事が露見し、かかわった者全員が殺された。
 のちに彼は身内の者達と旧都に移り余生を過ごした。ある宴会の席で隣の者に先帝の国が恋しくないかと訊ねられた。彼は戦がなく酒が旨い今の生活に満足していたため、思う通りにこれに答えた。訊ねてきた者は呆れた顔をして食事に戻った。
 
 
 その後彼は戦乱に巻き込まれることもなく天寿を全うした。のちの世の人々は彼のことをこう呼んだ。
 史実に残る愚帝劉禅、と。
 果たしてその評価は妥当なものなのか? そのことを検証した者の有無は伝えられていない。
 


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